連載エッセイ アペリティフの時間に

アペリティフの時間に


4月に入ったある夜、友人のカップルと一緒にどこかで夕食を、ということになり、彼らのアパルトマンで
待ち合わせをした。
レストランに行く前に、誰かの家で軽く食前酒でも飲んでから、というのは、よくあること。
毎回ホーム・パーティをするのは大変だけれど、アペリティフだけの「プチ・おもてなし」なら、もっと気楽
にできる。中々いいアイディアだ。

 夜、8時前。パリの空気はまだ冷え込んではいるものの、空は明るかった。日一日と、日が長くなっているこ
とを実感する。友人のアパルトマンは、坂道を上りきった所にあった。
年代もののエレベーターに乗って5階で降りると、ナタリーがドアを開けて、私たちを待っていてくれた。
二人の子どもたちも、ドアの隙間から顔を覗かせている。
ナタリーは、既に夜の外出をするのにふさわしい、ちょっと華やかな服に着替えていた。それに、赤い口紅もつ
けて、ほのかな、良い香りを漂わせている。
こうした、昼と夜、仕事の時間からプライベートな時間へと、スイッチを切り替えるための様々な女たちの儀式
は、一見、軽薄なことのようだけれど、中々どうして侮れないものだと思う。
それから、彼女は初めて訪れた私のために、家の中を案内してくれた。中庭に面した静かなサロン、彼女が一番
気に入っているという、明るい日差しが入るキッチン、夫婦の寝室とそれに 続くバスルーム、そして、子ども部屋。
この子ども部屋が私には印象的だった。天井がブルーで空に見立ててあり、雲が浮かんだようにイラストが描かれ
ている。女の子には白いレースのカーテンが付いたベッドが置かれていて、とても愛らしかった。
ナタリーの「本当はもうひと部屋、欲しいのよねえ」とは、都会に住む人間共通の心理で、思わず頷いてしまう。
子どもが男の子と女の子なので、今は小さいからいいけれど、いずれはそれぞれに独立した部屋を持たせてやりた
いのだという。
私は独立した自分の仕事部屋が欲しいのだ。どうしてもゲストルームが必要だという友人もいる。
人は様々な理由から「もうひと部屋」欲しいわけだが、これが高くつくのは知っての通り。さしあたって、すぐに引
越す予定はないのだから、何とか今の住まいで快適に暮らす工夫をするしかないのだが。
それにしてもこの家は、小さな子どもが2人、プラス、うさぎが1匹いるにしては、きれいに片付いているので、感
心してしまう。
ナタリーはカウンセラーとして病院で働いているのだ、それもフルタイムで。一体、どこにそんな時間とエネルギー
があるのだろう?
家もあなたもきれいにしているのね、という私の言葉に「色々、大変だけれどね」と笑う彼女。

そこへパートナーのジャンが帰宅した。と、ほとんど同時にインターフォンが鳴り、続いて現れたのは、若い女性だっ
た。彼女はベビー・シッターだという。
すぐに2人の子どもたちと打ち解けて、一緒に遊んでいたが、聞けば彼女がこの家に来たのは初めてということだっ
た。その日の午後になって斡旋所のような所に電話して、頼んだのだという。
それにしても、初対面とは見えないほど、子どもたちも彼女になついているように見えたのだが・・・。
子どもの方も、時々両親だけが出かけて、自分たちはベビー・シッターと過ごすことに慣れているのだろう。
パリでは、子どもであっても、社交性とコミュニケーション能力が要求されるということだろうか。
ナタリーがてきぱきとベビー・シッターの女性に留守中の指示をしている間、私たちはジャンの勧めてくれた食前酒を
飲んでいた。

 それから半時間ほど車を走らせて着いたレストランは、オーガニックの素材にこだわった料理、シンプルでモダンな内装、
と、今、流行のZenスタイルのようだ。
大きく取った窓からは、セーヌ川が見える。この眺めも、自慢のひとつに違いない。
「外で働いているとね、色々と嫌なこともあるし、ストレスも溜まるのよ。こんな時、家にいて、彼や子どもたちに不機嫌
な顔を見せるのも嫌だったし。。。それで、今夜は余計に気分転換が必要だったの」
彼らが夕食に出かけるのには、べビーシッター代が余計にかかっているのだ。それでも、カップルにとって、それは必要経
費というわけなのだ。
もちろん、もっとシンプルにできないのかという意見もあるだろう。せっかく女性が働いても外食代とベビー・シッター代
に消えてしまうなんて、ナンセンスだとか、もっと子どもと一緒に過ごすべきだとか、それなら物価の高いパリを離れて郊外
に住んで、子どもに手がかからなくなるまで専業主婦でいるとか、働き方を変えればいいのに、など。
もっともな意見だ。
それでも、と私は思う。こんな風に努力しているカップルは素敵だと。
カップル2人だけでレストランに出かけるのもいいが、どうしても話題が狭いものになってしまいがちだ。身内ということ
で遠慮もないし、言いたいことが言えるというメリットはあるが・・・。でも、それでは、どうなのだろう? 自宅のダイニ
ングで食事しているのと変わらなくなってしまう。
もっとも、レストランに出かけるということは、公衆の目があり、それなりに気を使うものだ。そこが「家ごはん」とは違う
ところだ。
そこに友人カップルを交えるということによって、さらに公共性が増す。
いくら親しい友人の前であっても、痴話喧嘩はもとより愚痴っぽくなったり、互いを批判してばかりいるのもまずい。
そこで、気を使う。この「気を使う」というのがポイントのような気がするのだ。
男と女が家族になることによって得られるものと失うものについて、私は考える。
 
セーヌが目の前に広がる、素晴らしい眺めのレストランだったが、隣に座った中年のカップルは熱々で、手に手を取り、お
互いを見つめ合っている。完全に二人の世界に入っていて、彼らにとっては料理も夜景もどうでもいいことのようだった。
途中で女性が化粧室に行って戻ってくると、男性は席を立って彼女を出迎え、そこで熱い抱擁とキスを重ねている。レストラ
ンの真ん中でじっと抱き合ったままの二人、いい眺めだ。もう若くはない男と女が美しい街、パリ。
 ナタリーとジャン、そして夫は、何やら議論に夢中になっている。
 どうやら、素晴らしい景色を堪能しているのは、私だけのようだった。(2005.4.5)